気分と批評
─
Seibun Satow 
「もし君がものに怯えているなら、この本を読みたまえ。だが、その前に聞きたまえ。もし笑いだせば、怯えている証拠である。書物は、君の目に、生命のない品物に見えるだろう。無理もない。だが、もし、万一、字が読めねば?恐れる必要があろうか……? 君は孤独か? 寒気をおぼえているか? 君は心得ているか? 人間はどれほどまでに《君自身》であるか?
  愚かで? そして
  裸であるか?」
ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』
 
一
 
 「どうして、こんなにも日本が物質的に豊かになったのに、相も変わらず、日本の小説ってのは、人生、どう生きるべきか、みたいなテーマを扱ってばかりいるのだろう。」高校生の頃から、ずうっと、そう考え続けてきた僕は、「太陽の季節」、「されど我らが日々−−」、「赤頭巾ちゃん気をつけて」、「僕って何」に描かれている青春像ともまるで違う、クリスタルな生き方をする若者たちが登場する小説が現われたらいいのにな、と、思っていた。
 それは、早くも七〇年代前半に、奇才、井上陽水が今の僕たちにとって一番大切なことは、政治問題や、社会問題ではなくて、デートへ行くというのに、雨の中をさしていく傘がないということなんだと、「傘がない」の中で歌っていたように、豊かな日本に育った世代が、気分よく暮らすことを、生活のメジャーにしている現象を描いている小説であった。
 けれども、残念ながら、そうした青春小説は、僕が留年するまで、現われてこなかった。
 「ならば、僕が、そうした小説を書いてみよう。感覚で行動する世代が登場していることを。何も、小説ってのは、ピカピカにみがかれて、ガラスの箱の中に入っている芸術品である必要は、ないのだから」(1)。
 七〇年代前半に、かぐや姫の『神田川』や『赤ちょうちん』に代表される「四畳半フォーク」とは違う新たな「青春」を井上陽水は、確かに、歌い始めていた。『傘がない』は、それにしても、後楽園球場での雨のコンサートが伝説として語られるグランド・ファンク・レイルロードの名作『ハートブレーカー』によく似ている。振り返って見ると、八〇年代は、建築批評家チャーリー・ジェンクスがその著作『ポスト・モダン建築』の中で「モダニズム(機能主義)」を超える立場として用いた、もともと建築用語の「ポスト・モダン」という言葉が時代のキー・タームとして普及し、流通し、一般化し、濫用された時代であった。この「ポスト・モダン」といういささか素朴なタームは、明確な定義もないまま、いやまさにないがゆえに、ハイアラーキーが存立し得ない時代の合い言葉と化したのである。その時代を命名する現象は、ある特定の国や地域に限定されることなく、世界的な雰囲気として、同時代的にわき起こる。一九五三年において、間違いなく、二〇世紀後半での最大の科学的発見の一つであるDNAの二重ラセン構造をワトソンとクリックが解明して、未知の世界に踏みこんだが、同じ年に、ヒラリーとテンシンが史上初めてエベレストの登頂に成功し、ヴェントリスとチャドウィックが線文字Bの解読を発表しているのである。文学においても、同様の状況が繰り広げられた。八〇年代の文学をごく概括的に言うならば、それ以前の時代と異なり、一つの名称──例えば、「第三の新人」や「内向の世代」など──によって総称されることがないスキゾ的状態であった。だが、その中でも、八〇年代後半に顕在化した大きな二つの流れが存在したように思われる。一つには、村上龍や村上春樹らに代表されるロマンスへの回帰、もう一つには吉本ばなならの私小説への回帰がそれである−−ここで私小説とは、作者自身を主人公とし、その日常生活における体験を書き記す小説形態であるという古典的な定義ではなく、後に言及するように、気分に基づいた偏狭な世界を開示して見せる小説形態を意味している。それらはどちらも非常に広範囲なポピュラリティーを獲得し、それぞれの作家は何らかの文学賞を受賞することになるのである。
 ミュージック・シーンを見てみると、八〇年代は中途半端な時代であった。生のサウンドとテクノ・サウンドが混在していたが、ジャック・デリダやウィトゲンシュタインに関心を持っていた英製伊語のスクリッティ・ポリッティが『キューピッド&サイケ85』を発表し、カルルハインツ・シュトックハウゼンの理想であるすべての音がコンピューターによって再現可能になることを極限的に示して、九〇年代では、それが主流となっている。ジャック・デリダやルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの名前をスクリッティ・ポリッティの『ソングス・トゥ・リメンバー』によって知った日本のティーンエージャーも少なくない。また、ロラン・バルトの『ムシカ・プラクティカ』が初めて日本に輸入されたのはフライング・リザードのデビュー・アルバムのジャケットである。ポップ・ミュージックと哲学の結びつきは八〇年代に頂点を迎える。パワー・ステーションが流行ったとき、そのパワフルなサウンドはニューヨークの天井が高いパワー・ステーション・スタジオでレコーディングした独特なものであり、日本でも、すぐに真似て、多くの天井の高いスタジオが建設されたけれども、今では、それをコンピューターによって再現できるため、使うものは誰もいない。テクノ・サウンドはシンセサイザーで人工的に合成したメリハリに欠く音だったが、サンプリング・マシーンの場合、現実音のサンプルを解析し、デジタルな形で蓄えておいて、微妙な凸凹まで再現し、適当に変換して組み合わせることができるのである。また、八〇年代は七〇年代の貧乏な時代の資産を運用してバブル化し、消費と虚栄の雰囲気に覆われた成金の時代である。パンク・ムーヴメントは世間に衝撃を与えたが、レコードはあまり売れなかった。パンク・ショックは物自体以上に現象、新たな音楽を生み出したのである。パンクから影響を受けたポリスは。デビューしたころは、うますぎるという理由で評価されなかったけれども、八〇年代に入ると、ミリオンセラーになったし、セックス・ピストルズやクラッシュと並ぶパンクの代表的バンドだったジャムのポール・ウェラー自身も、クール・ジャズに近いスタイル・カウンシルを結成し、セールスにおいては、恵まれることになった。
 もっとも、あれだけ既存の価値観に破壊的だったパンク・ムーヴメントにしても、労働党政権下に起こっているし、北部中心のミュージック・シーンを転倒しようとしたレーナード・スキナードを代表とするサザン・ロックが流行したのは、ジョージア州出身のジミー・カーターが合衆国大統領のときであるように、われわれは次のマルクス=エンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』における指摘を忘れてはならない。
 支配階級の思想はどの時代にも支配的な思想である。すなわち、社会の支配的な物質的な力であるところの階級は、同時にその社会の支配的な精神的な力である。物質的生産の手段を左右する階級は、それと同時に精神的生産の手段を左右する。だから同時にまた、精神的生産の手段を欠いている人々の思想は、おおむねこの階級に服従していることになる。支配的な思想とは支配的な物質的諸関係の観念的な表現、思想としてとらえられた支配的な物質的諸関係にほかならない。したがって、まさしくその一つの階級を支配階級にするところの諸関係の観念的な表現、すなわちこの階級の支配の思想にほかならない(2)。
 それでは、九〇年代の音楽が、八〇年代に比べて、進歩したのかと言えば、テクノロジーの発達にもかかわらず、その答えは否定的なものにならざるを得ない。本来、ロックに近いポップ・ミュージックは、フランク・シナトラやビング・クロスビーが大人の恋を歌っていたのに対して、若者の恋を歌うものとして登場としたのであるが、世界的に、音楽は指針を見失っている。日本の状況はさらにひどく、カラオケで歌われることを前提にしたCMソングやドラマの主題歌が主流である八五年以降の音楽を、われわれは、あまりに保守的で、とても聴く気にはなれないのである。八五年以降、ポップ・ミュージックは、スクリッティ・ポリッティによって、一つの頂点を迎えたと同時に、眠りにはいってしまったのだ。九〇年代の音楽は八五年以前の音楽の惰性で展開しているのである。
 七〇年代や八〇年代に支配的だったコンテンポラリー・フォーク・ソングとニュー・コンテンポラリー・ミュージックの差異は、パンクが、元来は、音楽会社の戦略によって登場したように、音楽業界内部の事情によってつくられたにすぎない。その違いを日本社会の変化から説明することは、正直、たやすいから、ここでは行わない。日本では、どこでも、業界や会社の意向が極めて強く働く。そういうこともあって、フォークやニュー・ミュージックのシーンでは、セールスと知名度が必ずしも一致しないという現象が起こる。コンサートのパフォーマンスがよくて客を集められても、レコードが売れないというアーチストが結構いる。アルフィーも、長い間、そうだった。フォークとニュー・ミュージックの分類は、チューリップを代表にした「フォーク・ロック」と呼ぶべき音楽が出現したとき、求められた。当時、「ロック」という言葉は、業界内で自分こそが真のロックを体現していると自称している人が許可しなければ、使えないという状況あった。おそらく、それをYMOの『ビハインド・ザ・マスク』にこそロックンロールのスピリットがあると認める英米の音楽業界人が聴いても、「ロック」とは思わないことは間違いない。ジャンルによる店頭販売しているレコード店サイドからも、「フォーク・ロック」では、「フォーク」=「ロック」という従来の分類に従ってわけようとすると、どちらなのかはっきりしなくなり、困るという不満があった。業界内部の力関係のために、「ニュー・ミュージック」という名称が必要とされたのである。猫というバンドのレコードの帯で初めて「ニュー・ミュージック」の言葉が使われた。レコード店にしても、「ニュー・ミュージック」のコーナーをつくって、いわゆる「エサ箱」と呼ばれるケースに何でもかんでも入れておけば楽というわけだ。ジャンルは売買の関係によって生まれるのであり、音楽評論家やアーチスト自身が命名したものが流通することはまずない。ニュー・ミュージックという名前は、「自由民主党」と同様、いい加減で、便利だったため、あっという間に広まった。吉幾三もデビューのきっかけはヤマハのポピュラー・ミュージック・コンテストだったし、谷村新司や堀内孝雄もフォーク・ソングからニュー・ミュージック、そして演歌へと移動していった。日本人は依存心が強いので、細かな分類よりも大まかなものの方を好む。小さな差異には自分の判断力を使わなければならないが、大きな差異の場合は、おしきせのものをただ受けとっていればいい。パンクは、ニュー・ミュージックとは逆に、小さな差異を強調する試みだった。ちなみに、甲斐バンドのリーダーである甲斐よしひろのギターの弾き方は見ていておもしろい。甲斐は左利きだが、兄の右利き用のギターをそのまま左で弾いて覚えたため、弦を上下逆に張ってある。だから、普通のギタリストが上から下にストロークするところを、彼は下から上にそうする。これは小さな差異だ。出版業界も音楽業界と同様の状況にある。本屋にしても、別に図書館ではないから、厳密な分類よりも、自分のところの販売しやすさを優先させるものだ。逆に言えば、作品の内容以前に分類しにくいものは、書店としてはなるべくなら店頭に置きたがらない。今日の日本の分類は、どこでも、販売という戦略に基づいて、業界が行っている。音楽だって、文学だって、あくまで日本なのだ。
 
 「豊か」になって太った佐藤公彦といった容姿の
 こうした経過をたどってみると、『なんとなく、クリスタル』が文壇関係者やマスコミ関係者から非難の集中放火を浴びたこの出来事には、どこか不可解なところがあることが顕在化してくる。われわれにとって不思議なのは、反知性的で非純文学あるいは異端的な文学に驚くほど寛容なはずの彼らが、なぜ『なんとなく、クリスタル』を嫌悪するのかということである。初歩的な理解のレヴェルでは、この作品は彼らのブランド嫌いを逆なでしたと考えられよう。すなわち、なぜ彼らはブランドを嫌悪するのかと言うと、ブランドとは汚らしい商業の申し子であるが、彼らの視点では、文学者はそのような商業的意識から超越した存在であるかのように映っているからなのである。それは、言うまでもなく、物質的なものを卑しく汚らわしいものと見なす精神至上の僧侶的禁欲主義、倒錯した権力意識の身振りにすぎないのだが。イマヌエル・カントは「人は、全然、流行はずれの服装をしてはならない」と言っている。しかしながら、必ずしも、ブランドを書いたことが集中放火的に非難される決定的な原因になったとは言えない。例えば、
 発表から十年以上が経過した今、『なんとなく、クリスタル』発表時の不可思議な田中つぶしは風化してしまった。当時と違い現在では、
 しかしながら、『なんとなく、クリスタル』を避けて、
 
 『なんとなく、クリスタル』が世に出たことによって、七〇年代は封印されたのかもしれない。八〇年の五月に一橋大学の図書館で書いた僕にとっての初めての作品である『なんとなく、クリスタル』は、今更、いうまでもないことであろうが、七〇年代後半の東京とそこで過ごす若者たちを描いたものである。が、それは同時に、七〇年代後半の日本全体を覆う空気を描いたものである。
 もちろん、目先の小さな目標設定を幾つも積み重ねていくことで、大きな目標設定を先に延ばそうとする、世の中全体がモラトリアム気分である日本の空気は、さほど変わったわけでもない。
 けれども、たとえば、ルイ・ヴィトンやクリスチャン・ディオール、クレージュに代表されるヨーロッパの、それもフランス中心の第一次ブランド・ブームの終焉が、『なんとなく、クリスタル』の登場によって早まったのは紛れもない事実である。
 あるいは、雨後の竹の子のように数々のブランドがあったスポーツ・ウェアを着てディスコ・パーティーへ行く大学生が少なくなったのも、ある意味では『なんとなく、クリスタル』が七〇年代を封印した結果かも知れない。
 八〇年代前半に訪れたのは、たとえば、フランスに替わって、どこか日本に似た空気を持つイタリア・ブランドの台頭であったり、東京在住の日本人デザイナーたちによるDCブランドの隆盛というフアッションのナショナリズム化であった。
 そして、更に付け加えるならば、第一次ブランド・ブームの頃のニュートラとはまた違った、極めて保守的ともいえるインゲボルグに代表される新ニュートラが、従来のニュートラ層ばかりではなく、ハウスマヌカンのような本来、ニューウェーブたるべき層に支持されたのも八〇年代である。
 それは、スポーツ・ウェアで出かけていたディスコ・パーティーへ、大学生を含めた若い人たちがタキシードを着ていくようになったのとも軌を一にしている。
 穿った事をいうなら、それらの事実は“強い日本”“優秀な日本”“素晴らしい日本 ”を説く政治家や学者を持て囃す人々が増えてきたともいわれる今の状況を証明しているのかも知れない。もちろん、アメリカという依然として強い国の傘の下でモラトリアム国家を演じているのだという大半の認識はまだ、誰もが変わらないのだろうが。
 『なんとなく、クリスタル』は、けれども、そうした目論見があって書かれた訳ではない。すでに文庫本の後書きでも述べているように、当時の東京とそこで過ごす若者たちを他に描く人がなかなか現われなかったから、初めて小説を書いたまでのことである。
 結果として、それが当時、隆盛だったファッショシの寿命を縮め、また七〇年代を封印した。そうして、多少、口幅ったいことをいえば、綿々と続いて来た「日本の小説」を封印したのかも知れない。けれども、それらの結果は、繰り返すようになるが僕の与かり知らぬところである(8)。
 この田中の言葉は示唆的である。田中は「結果として」あるいは「結果」という言い方をしているが、それは転倒を試みようとする田中の認識によるのである。八〇年代後半の村上春樹や吉本ばななの場合、共感という情緒的なものを基盤としてメジャーになったのに対して、田中の『なんとなく、クリスタル』は文学の周辺部的存在であるガイド・ブックやカタログとして、事実上、内容・形態に関してはほとんど十分に読まれないまま、売れたのである。そして、ルソーの『告白』によって、人々はルソーが見たものを体験するためにスイスに殺到し、アルピニストが生まれたとベルグソンが指摘しているように、『なんとなく、クリスタル』を読んだ(それ以前は足を運んだこともない)若者たちが大挙して六本木に訪れ、彼や彼女はその作品に表われた店に入り、登場人物が着ていたブランドの服を買いあさったのである。六本木が現在のような形でメジャーになったのは『なんとなく、クリスタル』に負うところが大きい。流行は、G・ジンメルの『流行』によると、「差別化の欲求」と「同調化の欲求」の弁証法的過程によって生まれる。他者との差異表示と同調という二つの契機を通じて、自己を確認する欲求が流行を生み出し、再生産する。そして、大衆社会のような同質性の強い社会では、大きな同一性と小さな差異性がより重要になってゆく。「クリスタル現象」なるものはあくまでも、「結果として」生じたにすぎない。つまり、田中はたんなるその時代の大半を覆う空気を書いた代弁者にとどまることなく、それまでの価値によって区分されていた文学を含めた質的空間を変形し、均質化するという転倒を行ったのである。
 それゆえ、『なんとなく、クリスタル』は現にあるものの描写ではなく、「日本の小説」に関するものをも含んだ価値を転倒するための方法的比喩、それも一筋縄ではいかない複雑で多重な意味を所有した比喩である。「日本の小説」そのものに対する価値転倒を企てた比喩がゆえに、『なんとなく、クリスタル』と田中は孤立を強いられたのであり、一連の「田中つぶし」はこの転倒に対する倒錯者からの抵抗なのである。「抵抗」は、フロイトが述べているように、心理的な「抑圧」の現われなのだ。また本論そのものもその「抵抗」にみまわれるかもしれないが。そして、田中に対する批判が複雑な構造を示すのは、『なんとなく、クリスタル』を侮って、多くの論者がこの比喩を多面的にではなく、一面的に解釈してしまったからである。
 従って、われわれが今『なんとなく、クリスタル』を読むのは、何も例の「時代を読む」といった凡庸な図式をなぞるためでも、この作品を「時代」の象徴として位置づけるためでもないことは、これで明らかであろう。われわれの論点は『なんとなく、クリスタル』における
二
 『なんとなく、クリスタル』のプロットは、説明するのにはいささかも困難さを必要としないどころか、ないに等しいくらいに単純である。主人公であるモデルもやっている女子大生の由利が、演奏旅行に出かけている恋人の淳一と離れ離れになっている二週間の間に、ディスコで知り合った正隆という男の子となにげなく関係を結んでしまうが、淳一が帰ってくると、彼の方は彼の方で誰か別の女の子と浮気を楽しんできたことに彼女は気づいてしまうけれども、お互いに離れられない関係になっていることを知っている彼女は、この生活が末永く続くことを願う、というのがこの物語のあらましである。それは、内容的には、一九八〇年版『当世書生気質』と言ってよい。こうした精神的な発展や成長といったものを欠いた単純極まりない素材による作品に関して、読むもの誰もが気づくのは、それが「気持ち」や「気分」という言葉、あるいは「なんとなく」に代表されるそのヴァリエーションに覆われているということである。と言うよりも、『なんとなく、クリスタル』において「気分」は特殊な地位を占め、その「気分」によってこの作品は支配されているように思われる。
 主人公由利は自分の生活における「気分」を次のように述べている。
 男の子に会う前には、シャワーを浴びてから出かける方がいい、と私は思っている。女の子と会う前には、構わないのかといわれてしまうと、そういう訳でもない。
 ただ、シャワーを浴びてから出かける方が、気分が妙ににウキウキしてくるという、単純きわまりない理由に過ぎない。
 そして、この単純きわまりない点が、実は大変に重要なところなのだ。
 髪の毛が思うようにいかない日は、一日中、気分がムシャクシャしてしまう。それと同じで、シャワーを浴びていかないと、なんとも気分が乗ってこない。
 結局、私は、”なんとなくの気分”で生きているらしい。
 そんな退廃的で、主体性のない生き方なんて、けしからん、と言われてしまいそうだけれど、昭和三十四年に生まれた、この私は、”気分”が行動のメジャーになってしまっている(9)。
 同じものを買うのなら、気分がいいほうを選んでみたかった。
 主体性がないわけではない。別にどちらでもよいのではない。選ぶ方は最初から決まっていた。
 ただ、肩ひじ張って選ぶことをしたくないだけだった。
 無意識のうちに、なんとなく気分のいい方を選んでみると、今の私の生活になっていた(10)。
 一見したところでは、「気分」に基づいているこの作品は恣意に染めぬかれているように見える。だが、「生きているらしい」や「なっていた」という人ごとのような言葉が「気分」というものを端的に表わしているのである。「気分」とは恣意的情緒性ではない。「気分」とは、「無意識」や「なんとなく」と彼女自身が表わしているように、明瞭な思惟以前の状態であり、思惟以後に現われる恣意のレヴェルにある「感情」や「情念」と同一視すべきではないし、また「気分」は知識や意志とはまったく別であり、そこにはいかなる恣意性も「主体性」もない。すなわち、「気分」とは私が所有しているものではなく、自分の外のどこからかやって来て私を強いる何ものかである。「選ぶ方は最初から決まっていた」と彼女が言う時、彼女には確固たる基準のない趣味領域の価値判断においてさえ恣意性がありえず、外来的な「気分」に強いられていることを告げている。
 もっとも、由利を「主体性のない生き方なんて、けしからん」と非難するだろう日本の学者や研究者の著わした入門書・解説書は、無難にうまくまとめられており、読みやすいが、彼らがオリジナルを目指して書いた本は読むに耐えない。一方、欧米の学者や研究者の入門書・解説書は、その主体的指針がはっきりしているため、読みにくいけれども、オリジナリティーを対象にして詠むと興味深く読めるのである。
 確かに、『なんとなく、クリスタル』には思想的・論理的に問いつめられた痕跡は一切ないし、また、むしろ論理に背を向けるかの如く、「気分」の理由をまったく書いてはいないが、それは田中にとっては最初から関心事ではない。と言うのは、「気分」は対象や周囲のもの、いわんや自分自身に責任があるわけではなく、認識論的なものとは無縁な自らの存在性と直接的に結びつき、その「気分」という一言に全存在的判断・理由が込められているからである。「気分が妙にウキウキしてくるという、単純きわまりない理由」が「実は大変に重要なところ」と言っているように、登場人物の彼(女)らにとって、「気分」は強制力を持った絶対性を帯び、「気分」の状態の如何は存在論的危機をはらんでいる。すなわち、「気分」と存在は一致し、「気分」が損なわれる時、自分自身の存在が脅かされ、実存そのものを危うくするのである。登場人物にとって、「大変に重要なところ」は「自分自身であること」が確保されることなのである。
 かくして、この作品における「気分」の独自な性格は恣意性の欠如だけにとどまらず、「行動のメジャー」と「気分」を定義しているように、「気分」は道徳的レヴェルまで高められ、「気分」に従った行動は道徳的となるのである。すべては主人公にもわからない「気分」に強いられた結果であり、それに従うことは法的にあるいは社会慣習的にどうあれ、少なくとも彼女にとっては道徳的にはよいことなのである。主人公由利にとって、「気分」とはつねに道徳的判断を内包しているだけでなく、道徳的判断そのものを意味している。「気分」は、実存的に、生か死かをかけたところから聞こえてくる良心の声なのである。
 『なんとなく、クリスタル』において、「気分」と道徳や存在の関係はこのように独特なものがあるが、厳密に考察しようとする際に、「気分」と道徳的判断・存在の間はタイトルに使われた「クリスタル」という比喩的言葉が手引きとなるように思われる。
 「クリスタル」という言葉は次のように文中で登場人物たちに説明されている。
 「クリスタルか……。ねえ、今思ったんだけどさ、僕らって、青春とは何か! 恋愛とは何か! なんて、哲学少年みたいに考えたことってないじゃない? 本もあんまし読んでないし、バカみたいになって一つのことに熱中することもないと思わない? でも、頭の中は空っぽでもないし、曇ってもいないよね。醒め切っているわけでもないし、湿った感じじゃもちろんないし、それに、人の意見をそのまま鵜呑みにするほど、単純でもないしさ。」
 そう言って、タバコの火を消した。
 「クールっていう感じじゃないよね。あんましうまくいえないけど、やっぱり、クリスタルが一番ピッタリきそうなのかなー」(11)。
 登場人物の説明に従うなら、「クリスタル」とは「空っぽ」でもなければ「曇って」もいなければ「醒め切っている」わけでも「湿った感じ」でも「単純」でもない状態を表わしている、ということになろう。前述したように、道徳的判断は良心としての「気分」に強いられて機能しているが、この根源的存在のレヴェルにある「気分」の強制力の下では、例えば「青春とは何か! 恋愛とは何か!」という思惟の如くは、無駄なもの、剰余なもの、曖昧なもの、疎遠なもの、抽象的なものとして排除されるほかない。つまり、「クリスタル」というこの比喩的言葉が表わしているのは、「気分」と道徳的判断・存在の間は「透明」であり、曖昧なものが入りこむほどの一分の隙間もないほど、距離を失っているということなのである。”The burning of the synagogue in
Ober Ramstadt during Kristallnacht. The local fire-department prevented the
fire from spreading to a nearby home, but made no attempt to intervene in the
synagogue fire”.
Before you slip into
unconsciousness
I'd like to have another kiss
Another flashing chance at
bliss
Another kiss, another kiss
The days are bright and filled
with pain
Enclose me in your gentle rain
The time you ran was too insane
We'll meet again, we'll meet
again
Oh tell me where your freedom
lies
The streets are fields that
never die
Deliver me from reasons why
You'd rather cry, I'd rather
fly
The crystal ship is being
filled
A thousand girls, a thousand
thrills
A million ways to spend your
time
When we get back, I'll drop a
line
(The Doors “Crystal Ship”)
 田中がこの作品のタイトルを『なんとなく、クリスタル』とした戦略にそろそろわれわれは気づいてもよかろう。前述したことから明らかなように、「なんとなく」という言葉は、思惟以前の「気分」を表わしているし、「クリスタル」は「気分」と存在・道徳的判断の一致を意味している。この本のタイトルが、滑らかな印象を与える『なんとなくクリスタル』ではなく、『なんとなく、クリスタル』という引っかかりを持ったものになるのは、「気分」はすべてに先行しているのだが、それは必ずしも認識論的な対象の性質や対象に関する認識からくるものではなく、ただたんに存在論的に対象と対応しているにすぎないことを訴える田中の身振りゆえなのである。「なんとなく」と「クリスタル」の間の「、」は、「気分」が自分の内部からわきおこってきたものではなく、どこからかやって来るものという「被投性(Geworfenheit)」(マルティン・ハイデガー)を表わしている「作者の批評精神あらわれ」(12)であり、由利が述べているように、『なんとなく、クリスタル』の世界は自己の内側にあるものとしての「主体」を欠いているが、「主体性がないわけではない」と言い表しているように、「気分」が主体として自己に作用している世界なのである。
 従って、『なんとなく、クリスタル』の企ての一つは、「主体性のない生き方」と由利自身が告げているように、「主体(subject)」を批判することにある。この主体の批判とは自己の自発性・能動性の否定を意味している。『なんとなく、クリスタル』の独自性は、その主体の批判が認識論的にではなく、主体=客体分裂以前の根源的存在性に基づいた「気分」によってなされているということである。つまり、『なんとなく、クリスタル』を「気分」が覆い、支配していることには、このような主体による思考の超越的優位の否定という意味があるのである。
 では、その「気分」はどこからやってくるのか、あるいは「気分」を可能にしているのは何なのだろうかという問いをわれわれは考えなければならない。
 マルティン・ハイデガーは、『存在と時間』において、「気分(Stimmung)」に関して、存在論的に、次のように書いている。
 現存在は事実的には、知識や意志をもって気分を制しうるし、また制すべきであるし、さらに制するよりほかないということは、実存の働きの或る種の可能性においては、意欲や認識の優位を意味することでしょう。といってただ、現存在の根源的な在り方としての気分を否認するような誤りに、陥ってはならないのです。つまり現存在は、気分において、あらゆる認識や意欲の働きに先立ち、またそれらの開示の届く範囲をはるかに越えて、自分自身に開示されているからです。そればかりではなく、わたしたちは[さきのように]制するといっても、気分から離れて気分を制するのではなく、そのつど反対の気分から制しているのです。情態性(Befindlichkeit)の第一の存在論的本質性格としてわたしたちが得るのは、情態性は現存在を、その被投性において開示するが、まずたいていは避けながら遠ざかるという仕方で開示するということです。(中略)気分はそのつどすでに世界・内・存在を全体として開示していて、したがってなにかへと自分を向けることを何よりもはじめて可能にするのです。気分づけられてあることは、さしあたり心的なものと関係はなくて、すなわちそれ自身なんら内的な状態ではなく、つまり謎めいた仕方で外に超えでて、そして事物や人物を色づけるというわけではないのです。そこに情態性の第二の本質性格が示されます。すなわち情態性は、世界と共同現存在ならびに実存と、根源を等しくする開示性の実存論的根本様式なのです。なぜならその根本様式そのものが、本質的に世界・内・存在であるからです(13)。
 「気分」は主体から自立して存在しているのであり、そして、それは「現存在」が「世界・内」に「存在する」ときの根源的な在り方、「共同存在(Mitsein)」に根ざしている。そして、ハイデガーは「共同存在」に関して「他者がいないということがありうるのはただ、共同存在の中においてだけ、またそれにとってだけなのです」(14)と説明している。ハイデガーの「共同存在」は、他者と自己が未分化の「家族」、「家」というもの、あるいはそれに類似した隠語や言葉遊びなどのレトリックが通じる、もしくはいわゆる目と目で通じあうとか阿吽の呼吸があうといった交友範囲を意味している。すなわち、「気分」とは自己も他者も存在しない未分化の状態から派生する「共同存在」を必要とし、その関係性からやってくるものにほかならない。
 他者と自己が未分化の状態の最たるものは親と子、それも社会的なものである言語を覚える以前の幼児と親の関係である。「気分」は言葉を覚える前の頃、「想像界」(ジャック・ラカン)における幼児体験の無意識的な想起であるように思われる。幼児の無言の反応は自分自身で在ることに直結する。「想像界」において、すべてのものが言語による認識論的な関わりあいではなく、存在そのものに直接的・無媒介的に自分自身と関わっていたため、幼児体験を言語的な記憶として思い出し、再生するのではなく、行為・行動として再現する。幼児の存在に関する反応は言語習得以前である以上、親と子の持つ直接的・無媒介的な共同存在によって支えられていなければならないのである。従って、「気分」に従うことは自分の存在だけを考えているという退行の現われにほかならない。
 田中は「気分」の根ざす「共同存在」のような「家族」的なるものを、「アイデンティティー」と呼んでいる。一般的な日本人の好む合い言葉としての「アイデンティティー」は人種、国民、民族と自己との同一性を指すが、田中の「アイデンティティー」という概念は、存在論的に、本質的・本来的なものであり、それとは異なっている。
 本文中に「アイデンティティー」について次のような記述が記されている。
 私は、こわかった。淳一が離れていってしまうのが。
 おたがいに必要以上には束縛し合わないというのも、淳一が私から離れていかないという保証があっての話だった。やはり、淳一がいてくれるということが、私のアイデンティティーなのだった(15)。
 淳一と私には、おたがいに仕事があった。経済的に、自立している状態だった。
 だから、私たちは一人前の社会人であるともいえた。
 とはいっても、同時に、学生という、社会に出る前の身分も持ち合わせていた。
 モデルの仕事は楽しいものだった。学校では知り合えない、多くの友だちが、そこにはいた。
 そして、学校へ行けば、行ったで、多くの愉快な連中がいた。
 でも、それだけ多くの友だちがいても、一人になると、急に、アイデンティティーを、一体どこへ置いたらいいのか、わからなくなることがあった。
 そうした時に、そばにいて離れていかないものが欲しかった。心を許し合えるものが欲しかった。私たちにとっては、それがおたがいに対して望んでいることだった。
 私のアイデンティティーは、それをモデル・クラブに求めることも、大学やテニス同好会に求めることも、求めようと思えば、できないことはなかった。淳一にしても、グループやスタジオ、大学に求めることができた。
 でも、私たちにはおたがいの存在のほうが、より大きなアイデンティティーとすることができた。
 同棲という言葉が、私はきらいだった。そこには、都会の片隅で二人が肌をすりよせながら暮らしているというイメージがあった。
 おたがいに、別々の世界を持ちながらも、一緒に住んでいる私たちには、共棲という言葉がよく似合っていた。
 といって、私たちはこれが新しい世代の生き方だ、なんて、粋がっているのでもなかった。おたがいに、一人では弱くて淋しいのだ、ということを十分に知りつくしていた。
 だから、おままごと遊びと言われようが、結婚ごっこだと言われようが、一緒に住んでいるのだった(16)。
 「アイデンティティー」はいかなるものにも求めることができるにもかかわらず、淳一の場合がそれ以上であるのは、あくまでも彼が他のもの以上に懐疑的な他者ではないからである。だが、ハイデガーは「共同存在とは、それぞれ自分の現存在の自己限定」(17)と述べている。「共同存在」は、親と子が対等ではないように、同等の立場・力関係では成立しない。「同棲」ではなく「共棲」という「言葉がよく似合って」いるのは、前の時代の「主体」といった主題からの解放からだけではなく、「同棲」が差異を消去することによって成立するのに対して、思惟の還元による「気分」に基づいた「共同存在」の間では、日常的において、何らかの差異が不可欠だからなのである。
 由利は淳一との関係について次のように言っている。
 確かに、淳一とのセックスであの高圧電流を感じるようになってから、私は少しずつ変わってきた。(中略)
 幾ら私が一人でがんばっても、その感じを得ることはできないのだった。一人で乳房をもみ、私の小さな丘に刺激を加えても、そうして得られる快感は、淳一が与えてくれるのに比べたら、ちょうど、ウサギの肉を赤ワインではなく白ワインで煮込んだフランス料理を、食べさせられたときのように物足りないものだった。
 淳一というコントローラーの下に、私は所属することになってしまった。
 私が普通の学生だったら、ここで淳一にベッタリくっついた、同棲という雰囲気になってしまっていたかもしれない。でも、幸か不幸か、私にはモデルという仕事があった。一緒に住んでいるとはいっても、私にもそれ相応の経済的にみた生活力があった。
 おたがいを、必要以上に束縛し合わずに一緒にいられるのも、考えてみれば、経済的な生活力をおたがいに備えているからなのだった。淳一によってしか与えられない歓びを知った今でも、彼のコントロール下に“従属”ではなく、“所属”していられるのも、ただ唯一、私がモデルをやっていたかもしれなかった。
 だから、いつまでたっても私たちは、同棲ではなく、共棲という雰囲気でいられるのだった。
 いつも、二人のまわりには、クリスタルなアトモスフィアが漂っていた(18)。
 「高圧電流」はマスターベーションでも、淳一以外の男性によっても得られない(決して観念的でも実体的なものではなく)「気分」的なオルガスムスであり、この「高圧電流」が「アイデンティティー」の拠り所となっている。だが、ここで、性的なることは、例えばマルキ・ド・サドの小説のように、一般的通念による抑圧・隠蔽の解放の象徴として特権化されているのではない。性的なることはたんに「気持ちいいこと」にすぎないのだが、さらに、田中自身が自分と並べて位置づける片岡義男との違いを認めるのも、またこの点にある。と言うのは、性は「気分」における一つの差異に関する──例えば、性的関係において、ペニスがインサートされるのが女である以上、女が受動的であることは否定できない──比喩的意味なのだからである(19)。すなわち、”従属”ではなく”所属”という言葉を選んでいるのは、「アイデンティティー」が「自己滅却」とは違い、あくまでも「自己限定」であるからであり、そして自分自身に、エマニュエル・レヴィナスの言う「男性的」なるものとしての中心的な意識・思惟のレヴェルを「気分」的なものによって還元していく姿、すなわち「手弱女ぶり」(本居宣長)を認めているからにほかならない。この田中の視点は、フェミニストらのそれとはまったく異なっているが、このような男性と女性の素朴な区別は非難されるべきことではない。田中は女の子を理念化してはいないし、動物的なものとも、幼児的なものとも見ていない。田中が言いたいのは、ジャック・デリダが『尖筆とエクリチュール』においてこう述べるように、「女性の真理というものは存在しないが、それは、この真理からのそこ知れぬほど深い遠ざかり、この非−真理が、『真理』だからである。女性とはこの真理の非−真理性の名称である」(20)から、つまり思惟に固執することなく、現にあるあらゆる多様性を認める繊細な肯定力を女性は所有しているということにほかならない。田中が主人公に女の子を選んだのは、女というものを描けているとは思えないけれども、まさにこうした理由によるのである。
 主人公由利と淳一の関係が以上のようなものであるとしても、『なんとなく、クリスタル』には、「愛」に関する心理的経過が一切見られない。田中が『なんとなく、クリスタル』において「愛」という言葉を一度も使っていないように、主人公由利は、意志を持って、淳一を愛しているのでもなければ、恋に恋しているわけでもなく、ただ一緒にいると「気分」がいいから、好きだと感じているにすぎない。「愛」とは、エマニュエル・レヴィナスによるならば、私を認めない懐疑論者としての「〈他者〉に向かう飛び超え」(21)であり、この意味における「愛」はこの二人には根本的に欠けているし、「愛」そのものが疑われるという高度な次元にあるわけでもない。比喩的に言うならば、それは、ぐずっている幼児があやされて機嫌がよくなるのと何ら変わりがない。「気分」が幼児体験の無意識的想起だと言えるのはそのためでもある。彼ら彼女たちには、対他関係における葛藤や摩擦といった中で、精神的努力によって、自分自身や愛を確立していく気など毛頭ない。純愛というのとは別に、セックスにおいて、オルガスムスを超えた感動が見出だされるかもしれないという可能性は──日本の文学においてその感動を書き表した作品は皆無に等しいが──、この世界には潜んではいない。とは言っても、二人はただたんにセックスを楽しむという姿勢を示してもいないのである。セックスにおいて「高圧電流」を感じる=感じないという機軸が「アイデンティティー」の拠り所としてまったく疑われてはいない。この性はロレンス流のピューリタニズムの反動でも、錬金術でもなく、またヘンリー・ミラーの『北回帰線』や『南回帰線』のように、主人公には何もなく、ただ性欲だけがあるという意味によって定義されたものでもない。『なんとなく、クリスタル』は、ヘンリー・ミラーの作品と違って、混沌として捉えがたくはない。前者が関心を「自分であること」に示したのに対して、後者は「自分であろうとすること」に興味をよせている。われわれが小説を書こうとすれば、ヘンリー・ミラーやフランツ・カフカのような作品になってしまうだろう。ヘンリー・ミラーの『性の世界』の中の「愛とは完成の劇、一致の劇である」という言葉はよく知られているが、セックスに関する記述を読むかぎり、正隆のセックスにしろ、淳一のセックスにしろ、テクニックとしてはいたって平凡と言っていいまでにオーソドックスであり、決して高度のものではないし、また二人ともテクニックのなさをおしきるだけのパワーもなく、淳一の場合、「高圧電流」があるという由利の側からのみ見られた一種の性的生活の一致が記されているだけなのだ。全般にセックスに関する記述は、男性性器をなめるほど逆に大きくなるキャンディーというように譬えることもなく、オルガスムスやエクスタシーを「ジェットコースター」や「高圧電流」としている程度であって特別驚くところもない。登場人物には一様に生のエネルギーが感じられないのである。『なんとなく、クリスタル』の登場人物は「アイデンティティー」に固執し、それを求めているが、坂口安吾の作品の主人公たちなら、私とはあるところのものではなく、私になろうとする私自身のことであるから、自分自身になろうと必至になって生きることこそが大切であって、「アイデンティティー」などその結果として後から生じてくるものにすぎない、と彼らの姿勢に対して哄笑するに違いない。ほんとうは「共同存在」との「保証」を「拒絶」し、他者のいる世界で他者とともにあるほうが、根拠が失われてしまう恐怖に苛まれることもなく、充実した生を創造できるかもしれないのだ。彼らは性審美主義者にすぎない。愛は、根拠があるともないとも言えない決定不能なまま、人を生きさせるのであり、性は他者との関係を発見し、発明するための生成過程なのだ。そもそも「アイデンティティー」のような自らの正当化のための根拠づけといった救いを文学に求めることは、書くことそのものが結果として「アイデンティティー」になるのに、誠に愚かと言ってよいだろう。「性行為とはするものでもなく、やるものでもありません。性行為とは、二人で人生を生きていけることを、心とからだの全部を動員し、うれしがっちゃう行為をいうのです。そして、性行為の主役は女性であって、男は脇役にすぎないことを片ときも忘れず、“彼女を満足させるために俺は性行為をしているのだ”と、常に自分にいい聞かせること。性行為は男の性器の挿入から始まるのではなく、挿入で終わるものであることを、絶対に忘れないように。性行為なるものが始まってから性器の結合が行われるまでの二十分なり三十分なりを、上になったり、下になったり、横になったり、斜めになったり、抱いたり、触ったり、吸ったり、見つめ合ったり、したいようにして、そのときの流れを喜び合うことが性行為の命なのです。男の挿入なんてものは、性行為のオマケみたいなもの。(略)男中心の性行為だと、男しか満足出来ないことになっちゃうように、人間のからだは作られているのです。女性というものはね、男が挿入さえしてくれなければ、まず絶対満足出来るに決まっているからだに作られているのです。男は、まったく逆に考えて、“挿入すれば女は喜ぶと思い込んでいるんだから、いい気なもんだぜ”なのです」(奈良林祥)。
 主体を批判するために、自己も他者も未分化の「共同存在」に基づいた「気分」を方法的概念として極めて狭い言説空間を構成している『なんとなく、クリスタル』は、江藤淳が「惚れた殿御に抱れりゃ濡れる、惚れぬ男に濡れはせぬ、とでもいうべき古風な情緒」(22)と表わしたように、決して真新しい・革新的スタイルではない。それは、本論が大いに負っている中村光夫の『志賀直哉論』(23)や柄谷行人の『私小説の両義性』(24)で論じられたことから明らかな、自己も他者も欠いた偏狭な世界によって構成される典型的な私小説の形態にほかならない。数学的な比喩を用いるならば、私小説的な世界とは複素平面での極限の概念を定める問題を考えるため、無限遠を設定し、二次元平面を写像することによって、そこの任意の点は三次元の球の表面に移されるという解析学的な図式にすぎない。これだけを見る限り、『なんとなく、クリスタル』は、若き田中が意気込んだような、新しい「青春小説」どころか、確かに非常に精密に作られてはいるが、日本における最も伝統的、保守的な小説ジャンルへの回帰をしているにすぎないし、「気分よく暮らすことを、生活のメジャーにしている」のは何も「昭和三十四年」に生まれた新しい世代に限ったことではない。
 しかしながら、たいしたプロットも持たない『なんとなく、クリスタル』が「気分」に貫かれたたんなる私小説、ハイデガー的理想の体現とも言うべき私小説であるならば、──文学的自意識を欠いた吉本ばななや林真理子を平然と評価し、彼女たちにぬけぬけと文学賞を、文学的生命に無関係であるにもかかわらず、与えていることから明らかなように──私小説には極めて点の甘い「文芸」・マスコミ関係者からこれほどまでに無視されたり、非難されることもなければ、また逆にセンセーショナルに八〇万部以上売り切るベスト・セラーになることもなかったであろう。
 要するに、『なんとなく、クリスタル』はたんに私小説、田中の軽蔑する「マスターベーション小説」(25)への回帰を志向したものではない。田中は私小説の典型的パターンをふんでも、私小説の極北である志賀直哉のように、私小説の中で誰にもなし得ない確固たる何ものかを追求するつもりはない。そして、『なんとなく、クリスタル』を既存のそういった私小説とわかつのは、ちりばめられた註の存在であるように思われる。この註はいったい何なのだろうか、田中がもし「気分」を「行動のメジャー」にしている若者たちだけを真に書くつもりなら、本文だけで十分であって、何もこんな膨大且つ周到な註をつける必要はなかったはずである。『なんとなく、クリスタル』の註は何かの使命を帯びていると考えなければなるまい。実際、湾岸戦争をめぐって、『なんとなく、クリスタル』の本文に見られるような主体批判を展開しておきながら、主体を主張し始めたのだから、その「矜恃と諦観」ゆえに、田中は本文の主体批判だけで十分とは考えていないのである。すなわち、本文を記号とすると註は意味であり、註の機能は本文を一定の書き手の意図、記号に「従属」させることであるが、『なんとなく、クリスタル』では、この註はたんなる説明、付属品、消極的なものという地位にあるのではない。この記号と意味の間の緊張関係がこの作品を独特なものにしている。この作品の註は、その過剰さ・周到さ・不透明さにおいて、完成された透明なる本文を一定の記号によって閉じることをできないものとして「所属」している。換言するならば、私小説の構造を精密にふまえているこの作品において、註はその構造を統合化・全体化させないためのアイロニカルな契機となっているのである。それが私小説に寛容な彼らを激怒させたのであるとは言えるのだ。彼らの田中に対する批判そのものが「気分」に基づいた私小説的である。つまり、田中の註の機能は、私小説的な言説空間を構築しておいてさらにそれを解体することにあるのである。
三
 『なんとなく、クリスタル』において、註は誌上掲載時に二七四個だったが単行本として出版された際には四四二個にまで増やされ、さらに大幅に手を加えられたことからも明らかなように、註がどんなに重要であるかがうかがい知れよう。『なんとなく、クリスタル』が話題になったのも、非難されたのも、少なからず、本文につけられたこの註のためであるし、前述したように、一般には、この註だけで読まれていたのである。註は本文に対応しているのだが、単行本では開いた右側が小説本文、そして左側が註のみというわかれた装丁になっていることからも、むしろ本文と競合しているものと考えた方がよい。『なんとなく、クリスタル』を論ずるにあたり、この註を離れることはできない。この註の存在がこの作品をたんなる私小説だけでなく、日本の小説全般からもわかれるように思われる。
 その註の大部分は、ブランドと場所そして外来語をカタカナからアルファベットにしたときのスペリング等によって占められている。これらの註は、カルチャー=サブ・カルチャーという二項対立の位階の上下を転倒することに思惟の意義を見出しているものからは、その対立以前の思惟に値しないコマーシャリズムと見なされ、貶められることになるし、一方、江藤淳はこの註を「批評精神のあらわれ」であり、「小説の世界を世代的、地域的サブ・カルチュアの域に堕せしめないための工夫」として逆に評価している(26)。例えば、『なんとなく、クリスタル』では、村上龍の初期の作品においては「世代的、地域的サブ・カルチュア」の力を持っていたセックスも、数々現れる註が二項対立の図式から追放し、と言うよりもむしろ、二項対立そのものを解体することによって、ブランドや場所の名前と等価に追いやっている。
 田中自身はその註について次のように述べている。
 でも、ブランドとか場所というものは、わからない人には、まるっきり、わからないものでしょ。そうすると、本当に仲間うちだけの小説になってしまう。だから、註をつけたんです。誰にでも、具体的な絵として想像出来るようにね。アメリカやフランスの小説にだって、ブランドや地名が一杯出てくる。で、それらの翻訳には、ちゃんと註がついてますもの(27)。
 これは村上春樹とはまったく正反対の姿勢である。村上春樹の作品には、人物の名を除く、固有名詞が氾濫しているが、それらには註あるいは説明は一切つけられてはおらず、読むものにとってはそのほとんどが「具体的な絵として想像」することはできないものにすぎない。こうした試みは、実際には、村上春樹の独自性ではなく、一九六七年に製作された全十七話のTV連続シリーズ『プリズナー6(The Prisoner)』が先取りしている。しかも、そこには村上春樹の嫌味なシニシズムがない。二〇〇二年にDVDボックスが販売されたので、確認することをお勧めする。むしろ、「具体的な絵として想像」することができないからこそ、村上はそうする。と言うのも、村上の企ては、経験的に有意味なものをまやかしだと指摘し、無意味なものを熱中してみせるカルチャー=サブ・カルチャーの転倒を秘めたロマンティック・アイロニーにほかならないからである。
 確かに、註の語りはアイロニカルな語調を帯びているが、それはロマンティック・アイロニーではない。『なんとなく、クリスタル』にはロマンス特有の終りに向けられた円環構造はなく、終りなき未来に向けられた構造となっている。小説本文の語り手が主観的であり註の語り手が客観的であるならば、ロマンティック・アイロニーは有効であろう。しかし、ロマンティック・アイロニーは主観と客観の分裂の和解への不断の誘惑の中で、同一性を円環運動によって確認する契機を含んでおり、認識論的であり、主観と客観の分化以前の存在論的な私小説の世界を認識論によって批判することは意味があることではないし、また十分な批判ができる可能性は低い。
 『なんとなく、クリスタル』におけるアイロニーは無知を自ら装いながら相手に無知を自覚させるようなソクラテス的なアイロニーではないが、この註と本文の構成はアイロニー特有の様式をしている。註の語り手と小説本文の語り手は本質的に異なっており、二重化された自己がこの作品を支えている。註は本文に語りかけるけれども、本文は必ずしむ註に話しかけはしない以上、この二つの語り手は共犯的なものではなく、差異の関係にある。小説の語り手は「気分」に基づいており、自己は経験的な世界にとどまっているが、註の語り手は自己を経験的な世界から言語によって構築された世界へと連れ出す。言語以前の状態である「気分」も、結局は、言語によって表すほかないのだという私小説のパラドックスをアイロニーによって指し示すのである。言語によって、経験的自己とそれに対して差異化し、解釈していく自己とは和解することなく分裂していく。アイロニーは時間的には短い間に二つの存在の関係を転倒する機能があるため、註と本文は並列せざるをえない。その転倒は自己認識に基づいているので、この二つの語り手は優劣の関係にあるわけではない。現実に対する内的意識の勝利を目的としてアイロニーがとられたとしても、アイロニーは、それがロマンティック・アイロニーであれ他の形態であれ、優劣の関係にあるわけではない。アイロニー的な様式は、自分自身を経験的な自己とまやかしの状態にあると主張する言語において存在している自己とに二重化するのだが、経験的自己そのものから言語的な自己は生まれるのであり、まやかしであることを指摘することが自分自身をほんものであることの保証にはならない。アイロニーは欺瞞を認識することはできるが、それを克服する能力は所有していないのである。つまり、アイロニーは自分自身をまやかしとほんものの二律背反の状態に置く。
 しかし、言語的な世界もその文学作品の経済的成功によって流通してしまうと、経験的な世界へと転換される。アイロニーがアイロニーとしての機能を果たしてしまったとき、その機能において有意味だったアイロニーそのものが無意味なものへとなる。つまり、経験性や歴史性に抵抗するアイロニーは歴史に組みこまれ、アイロニーは死を迎えるのである。このような状態に達したとき、アイロニーは経験的な自己のはらむまやかしの状態へと逆戻りする。
 『なんとなく、クリスタル』において、最初の註は「一九八〇年六月東京」という中表紙に掲げられた言葉であるが、この「一九八〇年六月東京」は、この作品にとって、読まれるべきものであることを意味している。田中は風景も内面も描いてはおらず、『なんとなく、クリスタル』には一切の豊かな描写が欠けているが、それは田中が「一九八〇年六月東京」を何よりも読むこと、注釈することを目指しているからなのである。『なんとなく、クリスタル』はそこから始まっている。しかしながら、それは、例えば中上健次にとっての「熊野」や「紀州」のような、記号と指示対象の不一致をはらむ不透明で多様なものとしてあるのではない。
 江藤淳は次のように『なんとなく、クリスタル』における田中の企てを述べている。
 ……いまの東京のいったいどこに、都市空間などというものがあるのだろうか。そんなものがもはや存在していないことを、完膚なきまでに残酷に描き切ったところが、
 十八世紀イギリスの思想家デヴィッド・ヒュームは、『人性論』において、内在的認識批判に基づき物質的実体はないというジョン・ロックの懐疑に対して、自己とは連合(連想)の法則による恒常的に配列されている表象系列の集合観念、すなわち自己とは「表象の束」であり、精神的実体なるものは習慣にすぎないと言っている。田中の見た「一九八〇年六月東京」は何らかの物質的・精神的実体などではなく、このヒュームの言う「表象の束」にすぎなかったのである。そのような実体的空間が崩壊し、たんなる表象記号の集積と化した「一九八〇年六月東京」を前にして、田中が試みたのは、江藤が指摘しているように、その完結している関係の網の目を構成している「記号の一つ一つに丹念に注をつけるというかたち」以外にとり得る道はなかったのである。
 前述したように、この註のほとんどはブランドや場所の名前であるが、ところが、学校に関しては、「国立の工学部」とか「渋谷から移った短大」あるいは「女の子たちが『キャーッ。』といいそうな、私大」という具合に、具体的な固有名詞を示すのを、いささか遠回しな「わからない人にはわからないかもしれない」表現を用いて、避けている。田中がこうした言い方を使うのは、言うまでもなく、こだわっているからであるが、それは、「表象の束」と化したにすぎない「一九八〇年六月東京」において、ブランドや場所の名前といった経験的なものと違って、学校の名前は、自分自身こそはいまだにその事態を逃れている実体と思いこんでいる愚鈍なものたちの最後の牙城とも言うべき根拠とされているからである。
 田中は註の一つで次のように語っている。
 この小説の登場人物はマネキン人形で、中身が空洞だ、という「文芸」評論家だって、学歴や肩書きというブランドにこだわる人です。この小説には生活がない、という「文芸」記者だって、新聞社のバッヂというブランドを取りはずしたら、タダの人です(29)。
 このように、ユーモアに至る前段階であるアイロニーは身も蓋もない不毛な状態を提示する。こうした指摘はカントのアイロニカルな「二律背反」に陥らせる「批判」と同じ視点にある。カントは主=客をめぐる一元論や二元論の問題を深く解明することはしなかったが、その議論そのものに対する根本的「批判」を行った。そこに彼の思想史に確固たる輝きを放つオリジナリティーがある。カントの「批判」は、四つの自己矛盾に代表される世界の全体についてパーフェクトな解答を提示することに対して一元論的な満足のいく解答を出すことは、理性や言葉の本性から考えて、不可能であると宣言したのだ。註の語り手は登場人物の経験的な世界を批判するだけでなく、読み手であるわれわれの経験的世界をも批判し解体する。アイロニカルな語調を帯びている註の語り手は、登場人物達の経験的自己とそれに対して超越的に振る舞う「文芸」評論家や「文芸」記者の超越的自己の二者を言語的な自己によって批判しているのである。超越的自己と経験的自己は優劣の関係にあるが、「文芸」評論家や「文芸」記者らも、経験的自己と同様、「表象の束」にすぎない。つまり、「私小説」という「表象の束」によって構成された自己反省の装置は、相対的な他者との直面を保護している。田中は言語的な自己によってその装置を解体し、他者との直面を強いる状況を提示する。例えば、大まじめに字義通り「立派な職人」への願望を記す吉本ばななには、もはやそのアイロニーに基づいた言語的な視点はない。それはまさに、大江健三郎の本のタイトルをもじるならば、「奢り」すらない「死者」にほかならない。
 さらに、田中の広告コピーまがいの文体は、注釈と同様、重要な意味を持っている。ア・プリオリに、文学には現在も特権が残されているという凡庸さを田中は認めていない。彼がその文体を選んだのは、現代において、特権をわれわれは求めることは許されていないという田中の姿勢からなのである。
 田中は自分の文体について次のように書いている。
 片岡義男さんの小説が売れているでしょ。ま、片岡さんの文ってのは、贅肉を削ぎ落とした翻訳文的で、その点は、仏文系の日本人作家の文章や翻訳小説を読まない僕とは、微妙に違うと思うんですけど、内容的には僕と同じで、まさしく今の若者の生活ですよね。こうした片岡さんの文章を、生活がない、読んだ後に何も残らないと「大」新聞社の文芸記者さんは言うわけ。そりゃ、ドストエフスキーやトルストイを読むと、色々と考えることができます。そういう小説は勇気を与えてくれるし、青春や恋愛について我々に教えてくれる。サラリーマン諸氏には、人生を教えてくれる。
 でも、僕たちには、そういう小説って、もう書けないんじゃないかなって思うわけ。だって、夜通し酒を飲みながら、人生とは、恋愛とは、なんて、友達とホットになって話すことは、少なくなってきてるでしょ。そういう哲学っぽいことを考えていないわけじゃないんですよ。みんな、考えてますよ。でも、少しばかり醒めているんです。昔の旧制高校の生徒なんかが悩んだことなんて、今の我々は青春の”アッ”という間に、悩んだかな、ってぐらいで通過してるんですから。決してパープリンなわけではないと思うんです(30)。
 ……でも、六本木や青山にいる若者だっているわけですよ。そういうところに来る若者は、かったるくて湿った日本の小説なんて読んでいられないですよ。私事を綿々と綴った小説を読まなくなるなんて当たり前ですよ。特に、今の若手作家の自己満足的で稚拙なマスターベーション小説なんてね。
 小説の世界は絶対で、それを読まない若者を、活字離れだ、本を読まない連中だ、って断定するのは、思い上がりもはなはだしいと思いますね。文学だって世の中と関わり合わなくてはならないはずです。自分勝手な思い入れで書いている若手の人の小説はもう勘弁してほしいですよ。みんなで、国債を買ったりしている、若手作家のグループのことですけどね。
 文学ってのは、読みやすくなくっちゃいけない。斜め読みしても解る。でも、じっくり読み直すと内容のある文って、最高ですね。それで、このエッセイも口述筆記みたいな形を取ってますけど、実は頭の中で考えながら、一字一字、原稿用紙を埋めているんです。多少、冗漫になっても、この方が書くほうも読むほうも楽ですから……(31)。
 田中は「文学ってのは、読みやすくなくっちゃいけない。斜め読みしても解る。でも、じっくり読み直すと内容のある文って、最高ですね」というようなまず本論が体現すべき姿であるかもしれないことを文学の理想として主張している。田中の文体に漂うのは「深さ」でも「重さ」でも「広さ」でも「厚さ」でもなく、「軽さ」である。それは一切の意味や虚偽そして善悪、真理を担ってはいないことからくる。と言うよりも、むしろ「軽さ」は積極的にそれらを退けていることによるのである。ハイアラーキカルな価値の崩壊した現実の事態では、文学すらもその例外ではなく、意味や真理からは稀薄になってしまい、(八〇年代前半に流行し、現在では主張することすら値しない)差異の戯れだけがある状態になってしまったために、そのような「軽い」文体以外にこの世のありようを書くことができるのはないから。「重さ」や「深さ」、「広さ」、「厚さ」を特権的に持ち出されることによって、成立する「文学」は、重厚さにおいては比類のないドストエフスキーやトルストイといった古典に関してはその力を認めるとしても、終りを告げている。
 もっとも田中は日本文学の歴史に関してもよく知っている、田中は註の一つで『源氏物語』に言及し、そのころから日本文学は真理や倫理など以上に、むしろ性生活に耽溺することのほうを──あるべき状態以上に、なすがままの状態のほうを──重視して描いてきたと述べている。従って、彼の文体が「軽さ」を担っているのは、ただたんに日本文学の伝統に追従するためでなく、それを自爆させるためである。
 つまり、田中の『なんとなく、クリスタル』は私小説そのものではなく、むしろ私小説に対する注釈、引用、解説、言い換えるならば、それはアイロニーに基づいた私小説のパロディなのである。ところが、田中以後のカタログ的作家にはこの転倒への意志をもってはおらず、そのスタイルは自明のものとなってしまっている。言語的な自己の場所はネガティヴであり、危ういものである以上、自明になった瞬間に、言語的な自己は超越的なものに転化し、閉じられ自己充足的世界に閉じ籠ってしまう。アイロニーとは持続するものではなく、刹那的なものである。事実、田中も『なんとなく、クリスタル』以降の作品においては、厳密な意味において、このスタイルをやめてしまい、彼のエピゴーネンと自分との違いを示し、彼らを厳しく批判している。例えば、『街のオキテ』(一九八八)の泉麻人は、田中によれば、「社会的視点がほとんどない文章」を書く「街の情報通」として「遅れる」ことを恐れる「少年たち」に「同志意識」を与えているにすぎない(32)。言ってみれば、泉麻人は死せるアイロニーを書いているのであって、田中のような、アイロニカルな批評意識を持って自覚的にそのパロディをやっているという二重の姿勢は泉麻人には欠けているのである。
 ところが、柄谷行人は、『江戸の注釈学と現在』において、田中の作品を「文化文政時代の文学」と次のように批判している。
 文化文政時代の文学では、言葉遊びや言葉の戯れ、つまりパロディとかパン(駄洒落)と称されるものが支配的でした。「深さ」ではなくて「浅さ」とか、軽薄短小というものが支配的だった。たとえばコピー・ライター糸井重里の「萬流」は、川柳をもじったものですが、川柳というのもまた一九世紀なんですね。一九世紀の間、ずっとそんなことばかりやってきたといってもいいくらいです。
 これまで論じてきたことから、田中の作品には「言葉遊びや言葉の戯れ」への批判がこめられていることははっきりしたけれども、田中の小説は、カタログ的特徴によって、私小説から遠く離れている理由の一つである。田中において、収集癖と文学的才能は不可分なものなのだ。『なんとなく、クリスタル』は集められた情報を創造的に扱うことが構成原理なのである。「欲望の体系」の象徴としてのカタログは販売を目的とした事典なので、その制作には構成力が要求される。構成力を私小説家は持ちあわせていない。メーカーの作成するカタログには欠点が掲載されていないが、出版社のマニア向けカタログは長所だけでなく、問題点も指摘されている。マニアは嗜好する対象の独自の事典をつくらずにはいられない。このマニアの試みは真の事典の作成という既存の事典へのパロディである。百科全書的要素のある作品は観察による諷刺とアイロニーを持っていることが少なくない。田中のカタログ的・百科全書的構成法は諷刺的解剖学である。彼の作品は私小説とアナトミーの融合であり、解剖学的要素が私小説に対する批判として機能する。『なんとなく、クリスタル』の伝統的な私小説にそった登場人物の様式か、文芸評論家や文芸記者への嘲笑、白書の表の添付などはアナトミーに属する特徴なのである。田中のアナトミーは分析と解体を意味しているのだ。小説家は小説を書けば書くほど成功するものであるが、百科全書的書き手は、その手法にこだわるかぎり、作家生涯を通して、ただ一つの作品に全力を投入することになるのである。と言うのも、百科全書は、諸学を一つのサイクルの下に構成しているように、人間の生の円環性と結びついているからなのだ。
 田中の批評意識の根本的な拠り所はコンプレックスであり(34)、彼は自分自身のコンプレックスを率直に表現したものに対して好意的であり、それをはぐらかしたり、おしかくすようなものには否定的である。コンプレックスの直視を感じさせるものを評価し、それを「皮膚感覚」の持ち主と命名し、田中自身も自分の批評精神の根拠を「皮膚感覚」としている(35)。コンプレックスは自己の存在の縮小感である以上、知覚によって喚起されるのであり、田中の「皮膚感覚」はあくまでも知覚であって、イメージを喚起する想像力ではない。田中の批評意識が知覚と結びついているため、想像力の貧弱さはやむをえない。例えば、田中が評価する音楽のほとんどは今日聴くに耐えない。田中は、『ぼくだけの東京ドライブ』(一九八五)において、ステイーヴ・ギブやレイ・パーカー・ジュニアーといった愚にもつかないミュージシャンを評価している。例外はせいぜいロバート・パーマーくらいであろう。田中が、絵画や写真に関して優れた判断を下しているのに比べて、音楽に関して評価の能力が落ちるのは、知覚に比べて想像力に重点を置くことがあまりできないからである。音楽は、絵画などと比べると、非造型芸術である側面が強い。音楽は知覚と想像力の拮抗において、絵画と比較すると、想像力に重点が置かれる。音楽において、想像力に重点がおかれるのは、それが持続するものであるからである。知覚は刹那的なものに関わっているのに対して、想像力は持続的なものに関わっている。それは、演奏する場合も、聴く場合も同じである。田中は日本浪漫派的な井上陽水や初期の松任谷由実を高く評価しているが、それは主として歌詞に関して集中しており、持続するメロディーには触れていない。最近の松任谷由実については、彼女自身にコンプレックスが稀薄化し、時代的にも彼女の抱いてきたそれがコンプレックスとして機能しなくなったことによって、優れた作品をつくれなくなったと批判している(36)。コンプレックスがなくなってしまったとき、ミュージシャンとしての命は消えるようなものを評価するということは、逆に、コンプレックスを克服し、自分があることではなく、自分になることをテーマとするような、すべてに対するあるがままの肯定に基づいた健康的な音楽を田中はわからないということを意味している。知覚に基づいた批評意識では、基本的には、不可視的なものや形式的なものを扱うことは困難である。それゆえ、批評意識が知性にあるとせず、「皮膚感覚」のみに求めることが田中の批評意識の欠点であると言える。
 私小説的言説世界は諸表象の結果にすぎないが、私小説を批判するには言語的な視点からでは不十分である。と言うのは、註の語り手の認識は、経験的自己に対する言語による再構成によってのみ見出だされるのだが、それは経験的な意識の限界性を確定することを行うのであり、そのとき言語においてのみ存在する意識が確保され、言語的な自己はあくまでも経験的な自己の結果でありその確証は経験に負っている以上、その言語的な意識が経験的な意識に逆戻りしてしまうという罠が待っているからである。それはアイロニーの死んだ際の事態である。そして、言語的な自己は「主体」性を退ける私小説に絡めとられてしまう。それゆえ、
 『なんとなく、クリスタル』の幕切れは、人口問題審議会の「出生力動向に関する特別委員会報告」と「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年度版厚生白書)」によって、静かに無機質的に、飾られる。このエンディングは、他の幾つかの註と同様に、雑誌掲載の後で、単行本化された際に改めて付け加えられた。この政府の報告書からの抜粋を要約するならば、二〇世紀末には回復の見込みのない人口の減少が始まり、一定の条件に変化がなければ、二〇二五年には人口の増減がストップし静止人口の状態になる、その結果、日本は「高齢化した社会」へ向かい、それに伴い、厚生年金の保険料の支払いが収入に占める割合も漸増していくだろうと予想されている。この最後の記載事項の登場はあまりにも意外であるが、これらの表はこれまで考えられてきたとは言いがたい。だが、それらは、実は、『なんとなく、クリスタル』における真の語りと呼ぶに相応しい重要な役割を演じているのである。
 この作品の構成は、おそらく、一九九一年に発表されたダグラス・クープランドの『ジェネレーションX 加速された文化のための物語たち』に影響を与えている。マガジンハウスで勤務した作者によるこの小説は本文と皮肉めいた註が併記され、一番最後に労働人口推計や20代後半の未婚比率など各種の数値が付けられている。『なんとなく、クリスタル』を読んだものなら、この類似に驚くことだろう。加えて、主人公たちの姿は正反対であるけれども、作者の意図は商業主義への批判という点で共通している。
 『なんとなく、クリスタル』における表による結末は梶井基次郎が『のんきな患者』(一九三二年)の肺病患者の階級別死亡率に関する統計に言及したことをわれわれに思い起こさせる。しかし、梶井の場合と同様、これらの最後の註は、個人的な問題から社会的な問題への志向の転換と理解すべきではない。この幕切れの無機質な語り手は、それ以前の註の語り手とは異なっている。これは言語的な自己ですらない。田中は手にしていたアイロニーの洞察を最後の最後になって手放してしまうのである。
 この表がつけられたのは、次のように私小説的言説空間にとどまり続けることを願う由利を叩きのめすためなのである。
 淳一と私は、なにも悩みなんてなく暮らしている。
 なんとなく気分のよいものを、買ったり、着たり、食べたりする。そして、なんとなく気分のよい音楽を聴いて、なんとなく気分のよいところへ散歩しに行ったり、遊びに行ったりする。
 二人が一緒になると、なんとなく気分のいい、クリスタルな生き方ができそうだった。
 だから、これから十年たった時にも、私は淳一と一緒でありたかった。
 その時、淳一は、どんなミュージシャンになっているだろうか。
 単なるキーボード奏者としてだけではなく、アレンジャーとしても、プロデューサーとしても、一流の仕事ができる人になっていてほしい。
 私は、まだモデルを続けているだろうか。
 三十代になっても、仕事のできるモデルになっていたい(37)。
 田中は、こうしたはかないと呼ぶにはあまりに卑小な願いを、失笑してしまうくらいに「新中産階級」と何ら変わらぬ望みを、赤面してしまうほど陳腐さに彩られた終りを決して認めない。素朴ではない田中はただこの外部を欠いた自己充足的な言説空間を書いただけで、『なんとなく、クリスタル』の世界に、そして他者と出会ってはいない彼らに、実は、「精神的ブランド」をありがたがる「文芸」記者や「文芸」評論家に対してと同様、肯定的ではないのである。
 久しぶりに帰ってくる淳一を迎えて、外食が多かったろうに、由利がクレーム・ド・クベッツーを料理していることにしても、淳一の馬鹿なガキがはしゃいでいるにすぎないようなジョークにしても、キャビアにシャブリなどの白ワインをあわせてうまいと言うような、あるいは霜降りやフォア・グラを絶賛するような連中と同様、かなり低レヴェルである。かりにどこどこの煎餅がうまいとしたら、それがうまい理由をただたんに老舗だからとしてしまわないで、米と醤油がこうつくられて、ああ使われているからうまいのだくらい言わなければ田中は納得してはくれまい。
 田中は『気分次第をせめないで』(一九八〇年)の中で次のように述べている。
 ただね、こんなにも豊かな、というか、バニティーな生活って、いつまでも続くわけないな、とも思うんですよ。一人の女の人が生産年齢(14−49歳)の間に何人の子供を産むかという「合計特殊出生率」が1・77人なんですよ。今、つまり、人口は漸減傾向にあるわけ。でも、老人は増えるばかりで、21世紀初頭には65歳以上の比率が、現在の8・9パーセントから、14・3パーセントに上昇しちゃうんだとか。こりゃ、大変な騒ぎですよ。きっと、スウェーデンやイギリス、西ドイツみたいな社会になっちゃうんでしょうね。外食産業も、流通産業も変化してくるでしょうし(38)。
 この表は虚構の世界と現実世界との和解を拒絶するアイロニーのアイロニーとしてあるわけではない。アイロニーは二項分裂の間で行われる終わることのない運動である。アイロニーの示すのはあくまでも共時的構造であり、現在を軸として過去と未来の分断にもそれは機能する。過去と未来との和解をこの表によって田中は提示し、経験的自己と言語的な自己の無効を宣言するのである。田中がアイロニーを用いるのはその終りなき運動のためであって、それは終りのない闘いということにおいてのみ、すなわち闘いにおけるその終りのなさゆえである。田中は閉じられた世界で戯れることを最後の最後に拒絶するのである。それは、結局、現実からの回避にすぎないから。私小説的言説空間は他者を一切追放し、その他者から措定される自己をも否定し、現実への意識から解放されてのみ成り立っているのである。そのことを田中は十分自覚し、私小説という自己反省の装置に最終的には絡めとられざるを得ない言語的な自己を否定し、現実や歴史を意識している。経験的自己や超越的自己そして言語的な自己もこの歴史の前では、はねつけられてしまう。田中の歴史は末期の眼から覗かれるヘーゲル的な目的論でもなく、シュペングラー流の没落的終末論でも、運命や「宿命」(小林秀雄)のことでもない。これをノーマ・フィールドは「ポストモダニズム版マルサス主義」と呼んでいる。トーマス・マルサスは、従来経済学が追及していたどのようにすれば豊かになれるかではなく、貧困はいかにして生まれるかということを解明しようとした。彼の『人口論』によれば、「両性間の性的情熱」があるかぎり、道徳的抑制が機能しなければ、人口はつねに幾何級数的に増加していくのに対して、食料供給は算術級数的に増えていくのにすぎず、人類の貧困かは不可避である。これは一種の逆説なのだ。田中の中心的方法はアイロニーであり、田中もつねに「両性間の性的情熱」を重視することからも、彼の焦点も富裕ではなく、貧困である。避妊具や人為的産児制限を肯定する田中がマルサス主義的であることは認められる。けれども、田中はそこからさらに一歩進んでいる。田中にとっての歴史とは、田中が出産という本来的に(私生児といった可能性をはらんだ)偶然なものに言及して語っているように、偶然的な誤りを含み、根拠があるともないとも言えない決定不能性の下にわれわれの意図をはねつけてしまい、まったく別のことをも意味してしまう、われわれ自身がそれに加わっているにもかかわらず思うようにならないものなのである。この私小説的言説空間が未来に残すのはその私小説的世界の維持の不可能性であり、未来のその事態によって、今の私小説的世界は支えられている。私小説とは世界を自分自身に、そして未来と過去を現在に従属させようとする「反感」の現われである。仮に、田中が”科学的”自然史から──太陽の膨脹による人類の滅亡──終焉を語ろうとするならば、それは鳥瞰的な自己の状態にすぎない。と言うのは、その終焉はそもそも人間の生活が直接的に導き出すものではない以上、鳥瞰的な自己は有限な経験的自己に対する優越性を確認し、生き続けるから。だが、その時、再び私小説は自己反省の装置として復活し、「私」の言説空間は終焉を迎える世界と釣り合う「アルキメデスの点」となってしまうのである。しかし、思うようにならない現実や歴史だけは「私」のものにはならない。要するに、田中が『なんとなく、クリスタル』を通して示すのは、私小説が、なぜ、どのようにして、共同体的に、歴史的かつ美的な自己反省の装置に再吸収され、しかもその装置が、その誤謬・欺瞞を顕在化されてもなお強迫観念的に反復せざるを得ないのかについて、警告していることなのである。そして、その警告は歴史によってのみなされ得る。つまり、『なんとなく、クリスタル』とは歴史からの私小説的言説空間への警告という比喩にほかならない。
 このごろ、日本の出生率が低下して、われわれ老人は誰が養ってくれるのかと、心配する人がいる。江戸時代は鎖国だったが、江戸は出生率が低かった。ストレスとか、病気とか、男女のアンバランスとかもある。それよりも、フリーターが多く、シングル志向が高く、フリーセックスやホモセックスやノンセックスがあったからとも言う。
 それでも人口は増えた。天明の飢饉のときは、東北の農民が流入した。都市のほうが生きやすかったから。そして田舎者と差別され、三代いると江戸っ子になった。パリでもロンドンでも、似た現象は生まれている。都市とはそんなものだ。ただ、これが今度は、国の枠をこえている。
 文明が進むと、人が死ななくなる。そのぶんだけ、人が生まれなくなって、ソロバンが合う。子供を作るための性が、愛のための性になり、性のための性になっていく。ただし、これには時間のズレがあって、地球全体でツジツマを合わすよりない。だから、ぼくの老後は、フィリピン系日本人や中国系日本に養ってもらおう。
(森毅『多民族国家に向かって』)
四
 八〇年代前半の
 田中は自分の生の目標を次のように述べている。
 Plain living, High thinking.
 イギリスの詩人、ワーズワースの言葉です。人から色紙などを差し出されて、何か書いて下さい、と言われると、僕は大好きなこの言葉を、お世辞にもあまり上手とは言えない字で記します。
 どうして、他人の言葉をお書きになるのですか? と怪訝そうに尋ねる人もいます。自分が以前に書いた文章の中の一節を得々として記す程、まだ老いぼれてはいないつもりですから、と答えると、ますます相手は怪訝そうな表情になります。
 およそ、色紙を差し出して、何か一言、とおっしゃるような方は、もっともらしい言葉を、もっともらしい表情をしながら、もっともらしい講釈付きで記してもらえることを望んでいるのかもしれません。
 ま、それはともかく、僕が大好きなワーズワースの言葉は、「暮らしは簡素に、思いは高く」と日本では訳されています。けれども、僕はしばしば、その訳に首を傾げたくなります。
 もちろん、その訳自体が間違っているとは思いません。けれども、Plain livingという言葉を、とかく日本の英文学者たちは、一般的に使われるところの清貧なる単語の意味にできるだけ近いニュアンスで伝えようとしている気がするのです。
 これは間違っていると僕は思います。高校野球にも似た日本特有の精神主義を感じて、気持ち悪くなります。「奢侈ではない、分に応じた飾らぬ、けれども物質的には豊かな生活の中から、豊かな心と高い理想、そして思考が生まれる」、意訳の域を大分、越えているかもしれませんが、でも、少なくとも異訳ではないと胸を張れる気はするのです。
 カソリックの司祭たちも、日々、おいしい牛肉とパンと葡萄酒を、神に感謝しながらも食べられるからこそ、隣人への愛を説くことが出来るのです。それを偽善だなどとは、僕は決して思いません。奢侈ではない、けれども、豊かな生活の中から、豊かな心は生まれるのです。
 はてさて、ではこうしたワーズワースの言葉を本当に理解して実践している日本人は、果たしてどのくらいいるのでありましょう? 自分自身に対する自省の念を持った上で、残念ながら、またあまり多くはない気がするのです。
 ただ単に値段が高くてスピードの速いことだけが取り柄の、まるでノブレス・オブリッヂ(noblesse oblige)の感じられないドイツ車に乗って、いかにもコンスピキュアス・コンサンプション(conspicuous consumption)な宝飾品を付けた女性と一緒に、サービスの何たるかをまるで判っていない、人気だけはあるレストランへ登場することが、ある種、羨望のまなざしで見られている。これが現状の日本なのですから。
 ハイライフ、ハイスタイルの楽しみを享受するには、それに伴う義務や謙虚さも身に付けなくてはいけないのです。札束やプラスチック・マネーで人の顔をひっぱたくような態度は、ですから、戴けません。
 今この原稿を書いていて初めて明確に判ったのですが、僕が海外へ出かける際に日本のエアラインを選択しないのも、もしかしたら、ワーズワースの言葉やノブレス・オブリッヂの意味を理解しない日本人がファースト・クラスに多いからなのでしょう。
 ハイライフ、ハイスタイル。その本当の形をマスターするのには、まだまだ、日本人は時間がかかりそうです(41)。
 会計検査院や公正取引委員会、あるいは制服を着用する仕事がよく似合うわれわれが、「人から色紙などを差し出されて、何か書いて下さい、と言われると」、「Take it easy!」、あるいは「Make it easy on yourself!」はとつけ加えるところであるが、確かに、田中にお願いすると、ひらがなをくずしたサインに、Plain living, High thinking.と添えて、書いてくれる。田中はワーズワースのこの言葉をエピクロス的な快楽主義に近く捉え、マハトマ・ガンジーの財政的支援者G・D・ビルラーによれば、ガンジーを貧困の中に生活させるのに年五万ルピーもかかったように、「ぼろは着てても心は錦」といった倒錯した権力意識の現われである「清貧」のようなロマンティック・アイロニーと解釈していない。この見解はワーズワースの伝統的な解釈から隔たっているが、むしろ、田中こそワーズワースを十分理解している。と言うのも、脱構築派が明らかにしたように、ワーズワースは、ルソーと同様に、ロマン主義に対する内在的批判者だからである。田中はワーズワースの作品を利用して、方法論的な主張をしているわけだが、このワーズワースの言葉についての解釈が田中にとってのアイロニーの意味を明らかにしている。田中にとって、アイロニーは反日本的なるものに対する警告の手段なのだ。『なんとなく、クリスタル』をかつて読み耽ったもので、これが田中の言葉であると納得できるものが何人いるのかはわからない。こうした考えを持つ田中にとって、八五年に、前年の『アン・アン』九月二一日号に掲載された吉本隆明がコム・デ・ギャルソンを着た写真に対して、埴谷雄高がカルトの勧誘と同じ手口でかみついて起こった、いわゆる吉本−埴谷論争は、どちらにしても、滑稽なものであったことだろう。
It used to seem to me that my
life ran on too fast 
And I had to take it slowly
just to make the good parts last 
But when you're born to run
it's so hard to just slow down 
So don't be surprised to see me
back in that bright part of town 
I'll be back in the high life
again 
All the doors I closed one time
will open up again 
I'll be back in the high life
again 
All the eyes that watched me
once will smile and take me in 
And I'll drink and dance with
one hand free 
Let the world back into me and
on I'll be a sight to see 
Back in the high life again 
You used to be the best to make
life be life to me 
And I hope that you're still
out there and you're like you used to be 
We'll have ourselves a time 
And we'll dance till the
morning sun 
And we'll let the good times
come in 
And we won't stop till we're
done 
We'll be back in the high life
again 
All the doors I closed one time
will open up again 
We'll be back in the high life
again 
All the eyes that watched us
once will smile and take us in 
And we'll drink and dance with
one hand free 
And have the world so easily
and oh we'll be a sight to see 
Back in the high life again 
We'll be back in the high life
again 
All the doors I closed one time
will open up again 
We'll be back in the high life
again 
All the eyes that watched us
once will smile and take us in 
And we'll drink and dance with
one hand free 
And have the world so easily
and oh we'll be a sight to see 
Back in the high life again
(Steve Winwood “Back In The High Life Again”)
 ワーズワースは天然の芝に恵まれた世界に生きていたけれども、日本人の文化はあの人工芝に象徴される。日本人は衣食住と人工芝のようなものに囲まれているのに、不満も主張せず、中には、美しさを覚えているのだから、呆れる。田中の文体をハルトの『モードの体系』にならって読むことは意義深くない。村上がそうした日本の大衆に読まれているのは、田中が『なんとなく、クリスタル』の主人公由利の獲得した世界の「永遠」への願いを叩き潰すようなことを、決して書かないからである。言い換えるならば、村上が、現実に読まれることにおいて優位を手にしているのは、他者を回避し、それを彼の言語的な世界から追放してしまったからであり、そのことは田中も十分承知している。
 田中自身は村上春樹を次のように批判している。
 外国文学的な文章であろうというイメージ、また、翻訳を手がけているという事実は、極めて横文字感覚的です。けれども、それはあくまでも外側の衣装でしかありません。
 彼の小説の内容は、「女の子は顔じゃないよ。心なんだよ」といった小説好きの女の子を安心させる縦文字感覚です。そうして、彼のエッセイは、常に「道にポンコツ車が捨ててあったから、拾ってこようかと思った」という内容です。
 『25ans』に対抗して発売になった「芦田淳」や「エルメス」が大好きな二十代後半の女性向けの雑誌『プラッシー』の創刊号では、「街に出た時、急に催してしまうと困るので、いくつかの行きつけのトイレを、喫茶店やデパートに確保しておこうね」みたいなことを書いていました。
 いやはや、なんとも外国文学的香りからは程遠い世界です。けれども、こうした縦文字感覚を内包しているところが、ショップマスター制だの海外ブランドの導入だのといった新しい衣装を外側には纏いながらも、内側には高度経済成長と共に豊かになった、その昔は練馬大根を運んでいた沿線出身であるというキャリアを持つ西武セゾングループに新中産階級が親近感を抱いてしまうのと同じ、ある種の安心感を読者に与えてくれるのです(42)。
 村上への批判において田中が主張しているのは、ものと言葉の関係が真の問題なのではなく、他者に直面しているかどうかが問われるべきなのだということなのである。田中は、村上春樹はただ共同体に回帰してしまっただけで、他者に向かって書いてはいないと指摘している。村上は死んだアイロニーを書いているにすぎない。外来的なものを日本的なるものへ融和させる村上春樹や吉本ばななのように、田中は「親近感」や「安心感」といったレヴェルの「共感」はされてはいないし、これからも「共感」されないであろう。しかし、田中は「共感」を必要ともしていなければ、求めてもいない。「実は我々は、人間にも会社にも国家にも、何時かは死が訪れるという大前提を認めた上で、それらを如何に活性化し永続化させるかを考えるべきなのだ。また、人間は生まれながらにして人間であるとの『建前』から議論は始まるのではなく、人間は生まれながらにして人間であるとの大前提を踏まえた上で、故に人間は平等であらねばならぬ、との議論に入って行くべきなのだ。それでこそ、批評なる人間の営為たり得る、と僕は考える」(43)。アイロニーの身振りを駆使しながら、
Daylight turns to moonlight and
I’m at my best
Praising the way it all works
and gazing upon the rest
The cool before the warm
The calm after the storm
I wish to stay forever letting
this be my food
But I’m caught up in a
whirlwind and my ever changing moods.
Bitter turns to sugar some call
a passive tune
But the day things turn sweet
for me won’t be too soon
The hush before the silence
The winds after the blast
I wish we moved together this
time the bosses sued
But we’re caught up in the
wildness and an ever changing moods.
Teardrops turn to children
who’ve never had the time
To commit the sins they pay for
through another’s evil mind
The love after the hate
The love we leave too late
I wish I‘d wake up one day and
everyone feel moved
But we’re caught up in the
dailies and an ever changing moods.
Evil turns to statues and
masses form a line
But I know which way I’d run to
if the choice was mine
The past is knowledge
The present our mistake
And the future we always leave
too late
I wish we come to our senses
and see there is no truth
In those who promote the
confusion for the ever changing moods.
(The Style Council “My Ever Changing Moods”)
〈了〉